社員と少年
浮遊霊Aと自縛霊Bは疲労した体を宙に横たえた。
自縛霊Bは荒れた呼吸を整え、浮遊霊Aの汗で少し湿った髪を見た。
もううんざりだと、自縛霊Bが浮遊霊Aに向かって言おうとしたとき、浮遊霊AはYシャツの襟元を弛めながら自縛霊Bに微笑みかけた。
「あと少しだな」
爽やかな笑顔で時計を見上げる浮遊霊Aの表情に、怒る気も失せて自縛霊Bは項垂れた。
「なんだって僕がこんなこと・・・」
「まあそう落ち込むな少年。死後の人生は長いぞ〜?」
「だからなんで僕がこんなことしないといけないんですか!僕だってゆっくりまったり時の流れに身を任せて過ごしたいのに・・・」
「随分と年寄り臭い嗜好だな若い癖に。自縛霊ってのは皆そうなのか?」
僕が知るわけないじゃないか。自縛霊Bは頬を膨らませてそっぽを向いた。なんだかんだいって彼は子供なのだ。
死んだときのことは覚えていない。気がつくとこの学校の中をふわりと彷徨っていた。誰も彼に気づかないし、彼に話しかけない。もしかしたら屋上が立ち入り禁止なのは生前彼がそこから飛び降りて死んだからなのかもしれないし、プールが使用禁止になっているのは彼がそこで溺れて溺死したからなのかもしれない。
学校の外にはなぜか出ることができない。彼が出ようとしない所為でもあるのだが。そんな彼を見て、浮遊霊Aは彼のことを自爆霊だと判断した。そして二人は今、真夜中の教室にいる。
「そもそもどうしてこの教室の時計を止めないといけないのかが非常に疑問なんだよ浮遊霊さん」
「それはだね自縛霊さん。この時計を止めて午前四時四十四分に合わせておけばここの生徒諸君は驚くだろう?私の指令はこのクラスのマドンナ、サクラちゃんの怯えた顔をこのカメラに収め社長に渡すことなのだよ!わかったらさっさと手伝いたまえ」
ぶわさぁっという音を立てて背広を脱ぎ捨て、浮遊霊Aは教室の壁に掛けてある時計に思念を送り始めた。
「社長って誰だよ・・・」
「知る人ぞ知る、幽霊会社の社長様だよ自縛霊君。生前は上はお年寄りから下は幼稚園児まで、数々の女の心を虜にし、それが原因で殺されてしまった憐れなお方だ。どうだかわいそうだろう?協力する気になるだろう?」
「かわいそうとは思えないのに既に協力させられてるけどさぁ・・・」
自縛霊Bも時計に向かって思念を送る。霊はいわば意思だけの存在であるから、現実の世界に物理的に介入しようとすると強い思念を送ってそれを力に変換するしかない。当然ちょっとやそっとの思念では力は生じないから(浮遊霊Aの思念も実際は大して強くない)、自縛霊Bは無理矢理協力させられているのである。
「ほらほらもう少しだ頑張れ少年!」
「あんたこそ真面目にやってんの?」
「失敬な!私は何事にも真剣に取り組むのがモットーだ」
「嘘くさ・・・」
自縛霊Bがそう吐き捨てたとき、時計の針が止まった。
「おお!何事もやればできるだろうそうだろう?では針を合わせるとしよう。四時四十五分でもなく四十三分でもない絶妙な位置に長針を合わせるんだぞ少年?」
「わかってるって・・・終わったらさっさと帰ってくれよな」
「何を言うか少年!サクラちゃんの愛らしい顔をカメラに収めるまでは私は会社に帰れないのだよ?」
カメラを取り出し尤もらしく頷く浮遊霊Aに、自縛霊Bは今晩何度目になるかわからない溜息を吐いた。
サクラちゃんが「どうせ誰かの悪戯でしょ?」とニヒルに笑った瞬間をシャッターに収め、浮遊霊Aと自縛霊Bは校門に立った。
「ふむ。残念な結果に終わったが良い晩だったよ少年」
「僕にとっては悪夢でしかなかったけどね。もう来ないでくれる?」
「ふっ・・・。一晩でそんなに黒い笑顔を習得するとは中々ではないか。君なら幽霊会社の優秀な社員になれるだろう。今度入社試験を受けに来るといい」
「でも僕は自縛霊・・・」
言いかけた口を名刺で塞がれ、自縛霊Bが咽た瞬間、浮遊霊Aはふわりと宙に舞い上がって歌を歌いながら消えていった。
最後の一瞬、微笑みを見た気がした。
きらきらとした日差しの中、少年は一歩踏み出した。