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天使の血は美味しいのだろうかと、J−0695は誰もいない門を見つめた。色鮮やかな天使たちの残滓が瞼の奥にちらついている。それを掻き消すように瞬きを繰り返し、懐から煙草を取り出して火を点ける。無性に喉が渇くのはまだ自分に野生が残っているのか、はたまた煙草のせいか。
無線機で管制塔へ天使一行が無事帰宅したことを告げ、門を制御する装置に異常がないことを確認して帰宅することにする。無味乾燥な、しかしきちんと区画された街の中を暫く歩くと、彼の住処のある外国人居住区に着く。自宅へ帰る前にキオスクに血液のパックを買いに行こうと道を右側に曲がった途端、ユニコーンがJに向かって突進してきた。危うく顔面に角が刺さるところだった。どうどう、と騎乗しているメドゥーサがユニコーンを宥める。Jはこの盲目のメドゥーサと男色のユニコーンとは窮地の仲なので、Jは軽く挨拶をした。
「こんにちは、メドゥーサにユニコーン」
「その声はヴァンパイアかい?」
そうです、と答える間もユニコーンはJに頬を擦りつけている。
「どこかへお出かけですか?」
「下半身不随のラミアの所へお見舞いに行くんだよ。まったくこのホモ馬ときたら急に走り出すんだから。あんたからもよく言い聞かせておくれよ。どうせあんたの言うことしか聞かないんだから」
憮然としてメドゥーサが呟き、Jはユニコーンを軽く諭してやる。
「あんたは帰るところかい?」
「はい、でもその前にキオスクで食料を買うつもりです」
「キオスクならさっき私も行ったところだよ。あのボケ人魚の店主はすぐに釣銭を間違えるんだから困ったものだ。あんたの采配ミスだよ」
それはすみませんと謝り、Jはラミアの住むアパートへ向かう一人と一頭の後ろ姿を見送った。男色のユニコーンを盲目のメドゥーサの盲導馬にしたのは間違っていたのかもしれないが、かといってこの広い街中を白い杖一本で歩かせるわけにはいかない。Jにとっては地獄に適応できず帝國に難民として入国した民草の管理も仕事のうちなのだから、今のような光景を見せられるとどうしたって頭を抱えてしまう。とりあえずキオスクへ行ってボケ人魚の仕事ぶりも見ておかなくては。Jは紫煙を吹かせながらキオスクへ向かって歩き出した。
「あらぁ、ヴァンパイアさんね。今日飲む血液は何型かしらぁ?」
おっとりとした声で水槽に下半身を浸した金槌の人魚が問う。ABのRh+を、と注文する。本当はRh-が飲みたいのだが、Rh-は値が嵩む。脳裏にはコゼット教諭の白い首筋がちらついている。
「まいどありぃ。いつもありがとう」
笑顔で血液のパックを紙袋に入れ、人魚は釣銭も間違えそうになりながらもなんとか商品と釣銭をJに渡した。Jはそれを見て、店舗にキャッシュカードを導入するよう上に掛け合ってみるべきだと考えた。パックの蓋を取り、ごくりと飲みながら歩く。この血とコゼット教諭の血はどちらが美味しいのだろう。
自宅に戻ると、Jはとっくに空になった一袋目のパックを屑入れに捨て、二つ目のパックを開けた。窓を開けようかと思ったが、どうせ埃が部屋を汚すだけなのでいつも通り空調のスイッチを入れる。あの天使の子供たちは悪魔をどう捉えたのだろう。この社会見学は地獄の高度な技術をエデン側に見せつけて敵意を削ぐことが主な目的なのだが、別れ際のコゼット教諭の言葉をそのまま信じれば今回は上手く運んだと言っていいだろう。ふと思い立ってメッセンジャーを起動させ、C-4809を呼び出した。
「…こちらC-4809。Jか。天使たちは無事に帰ったのかい?」
暫くしてからC-4809がそう応えた。嗚呼、と答えてJは核心を切り出した。
「社会見学は上手くいったかい?」
C-4809ーープラントの所長はモニタの中で苦笑した。
「大丈夫さ。うちの所員は皆優秀だし、見られるとマズイものは全部隠しておいたから。ただ…」
ふと眼を伏せた彼女を見て、Jは訝しむ。C-4809とは何度もこうして話してきたが、今までこんな表情をしたことはない。天使との接触で彼女の精神面に変化が生じたならば、上に報告しなければならない。
「ただ?」
「私は本当にオリジナルなのかと、そう考えてしまって」
C-4809の顔がくしゃりと歪む。
「オリジナルの貴方と話していても今までそうは思わなかったのに、変な話だと思うでしょう?」
「それは私が不完全だからだよ。この帝國には盲目のメドゥーサや男色のユニコーンや下半身不随のラミアや金槌の人魚や、私のように非力で獲物も捕れないヴァンパイアがいるけれど、私たちは不完全だからといって処分されない。逆に研究対象として手厚く保護されているくらいだ。同じ“不良品”なのに君たちとは扱いが随分違う。疑問に感じない方が変だ」
「話を摩り替えないでほしい」
気分を害したような口調でC-4809は呟いた。
「確かに私は不完全だし、貴方がた外国人も不完全でしょう。だけどその“不完全さ”がオリジナルの証であるはずなのに…。完全とは一体何のことなんだろう?私をモデルにした完成品?開眼したメドゥーサ?処女趣味のユニコーン?全身付随でないラミア?魚のように泳げる人魚?それとも天使?私にはさっぱりわからない…」
搾り出すように最後の一言を吐き出したC-4809はぐったりと俯いた。このタイミングで話し合いをする機会を持ってよかったとJは心の底から思った。彼女がセントラルで試作品として創られた頃からJは彼女を知っている。C-4809がパニックを起こして暴走でもしようものなら即刻処分されかねない。それかまた実験体の一つに逆戻りだ。Jとしてもそれは避けたい。これを愛着と呼んでいいのだろうか。
「君の混乱はよく分かるつもりだよ。少なくともDタイプの所員たちよりはね。天使を見て、そんな疑問を持ったんだね?」
嗚呼、とC-4809は頷く。目元に隈ができている。
「その天使たちだって今頃混乱しているさ。コミュニケーションとはその混乱を指すんだよ。私にとって君はオリジナルだし、所員たちにとってはただの試作品かもしれない。天使にとってはただの悪魔のひとりでしかないのかもしれない。オリジナルだとか試作品だとか悪魔だとかは関係ない。君は君だ」
C-4809は暫く黙り、小さな声で「ありがとう」と呟いた。
疲れたから切るよ、という言葉に頷いてJも回線を切る。とりあえず上に報告するのは見送ろう。Jは入浴し、歯を磨いてから床に入った。
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